重箱の隅

まあ色々と?

刀ミュ「葵咲本紀」見に行ったよの話(10/28追記しました)

 

お暑うございます、ご無沙汰しております、私です。

先日、刀ミュの新作「葵咲本紀(きしょうほんぎ)」を見に行ったので感想を書きました。うろ覚えかつネタバレありありのありなので、未見・ネタバレNG・ちょっとでも違うと許せないという方はお控えください。

 

鉄は熱いうちに追記!大千秋楽が終わったのでいろいろ追記してます(19/10/27)

 

さて、はじめに

今回の刀ミュ「葵咲本紀(以下あおさく)」は完全新作と言いつつも、先日再演もあった「三百年の子守唄(以下みほとせ)」のめちゃめちゃ補完続編+αです。

知らないでも見に行けるだろうけど、みほとせを見てから見た方が絶対楽しめるので、これを機にみほとせ未見の方はみほとせを見よう。みほとせ見たよって人ももう一回見てからの方が楽しめると思う。とにかくあおさく見る前にみほとせを見ろ(ダイマが過ぎる)。あおさくはスターウォーズで言うところのエピソード123とかそんな感じ。ちょっと違うけど。

 


ざっくりしたあらすじはこちら↓を参照してください。

ミュージカル『刀剣乱舞』~葵咲本紀~レポート――刀ミュの挑戦が広げる物語の行方 | エンタステージ

 

見初めて混乱しかかったのが、あおさく時軸ではまだみほとせの物語が終わってないんですね。

みほとせの信康さんが死んだあと、天下分け目の関ヶ原の直前のおはなし。

みほとせ続編っていうかスピンオフとか補完っていう方がしっくりくるかも。

 

 

 

キャラクターのこと

前半の軸は村正派、後半は籠手切江明石国行御手杵鶴丸国永を添えて…って感じ。

割と平等に見せ場があった印象。安心して見られた。

みほとせのときは正直これ蜻蛉切いなくてもこの話成り立つんじゃ?と思いながら見てたので、それぞれのキャラの持ち味を引き出している今作は私は好きです。よきよき。

 

村正派
みほとせ再演時点でこの二人は造形がほぼ出来上がってるので割愛。この話は家康とその子どもたちの、家族の話で、村正の「ファミリー」というセリフは一度しか出ないけどそれを活かす脚本、とても好感!

あと村正派歌うますぎる。二人のデュエットはやっぱ頭一つ飛び抜けてるよなあ。ありがてえありがてえ。寿命が延びる。そこだけでもいいからまた聞きたい。配信きたら絶対買う。

(追記)千秋楽やばかった、もう全部出し切るぜ!って感じで、演技も歌もすごかった(すごかったので語彙力は死んだ)。重傷の村正とそれを庇いながら動く蜻蛉切、なんかわちゃわちゃとした村正のボディランゲージを正確に理解する蜻蛉切、自由な村正とそれをカバーしつつついていく蜻蛉切。ああー…これがファミリー…

 

籠手切江

今回の短刀・脇差枠。籠手切ナンデ籠手切?(まあ設定的にミュに出るしかないキャラではあるが)と思ってたけど、センパイのアレは確かに使いたくなるよなあ。秀康がこの時に家康から下げ渡された刀に「稲葉郷(江派)」が史実にあると後で調べてなるほどー!となりました。あと1部で2部が始まって私はちょっと動揺した。ペンラ何色だっけ?ってカチカチしたくなる。アイドルかわいい。キュンキュンですう!

(追記)アイドルでした。動きの軽やかさがまじジャニーズ。YOUジャニーズ事務所きちゃいなよ、って私がタッキーだったら勧誘してるレベル。楽しそうなのがまた印象的だったなあ。とくんとくん。

 

明石国行

明石の完成度高すぎ。ビジュアル写真の時点でめっちゃ明石だったけど動いてもめっちゃ明石国行ですやん。エセ関西弁も明石っぽいし。序盤は狂言回しなのかなーと思いながら見てたけど、どうやらそうでもない模様。いいねえ、次作以後につながる不穏な伏線、そういうのだーい好き。

(追記)っていうかですよ、傾国じゃん、なんだあの美しさ…?明石にファンサ受けて赤面したお兄さんがいたというツイート見たけどまああんなの近くで見たらそりゃな…合掌。そして京都弁がちょっとうまくなってる!言い回しとか!双子の中の人が関西らしいので教えてもらったのかもしれない?

 

御手杵

御手杵は佇まいがとても御手杵だった。なんでもできるけど刺すことしかできない、ぬぼーっとした御手杵イメージ通りでびっくりした。後述してますが御手杵焼ける描写がなかなか秀逸。あと役者さんの腕足が長すぎる。スーパーロングロング足。歌合いでは兼さんと巴ちゃんとぜひ並んでほしい…ステージが完全に林化するね…(蜻蛉切岩融は上背あるけど筋肉でどっしりしてる&衣装的に足が目立たないので除外です)

それと御手杵蜻蛉切でやる検非違使と戦う殺陣、そうそうこれ私ずっと見たかったんだよー!槍がいっぱいコレクション2019秋。ありがとうございます。

(追記)ロングロング足。エッフェル塔あるいはコンパスです。籠手切とのレッスンシーンの開脚がえぐい長い。人間1.4人分ぐらいない?あと声の感じがより原作に似てきている。レッスンシーンと貞愛と戯れ合うシーンがどうあがいてもカワイイ。

 

鶴丸国永

鶴丸が限りなく原作準拠で私はかなり好きな鶴丸だった。二次創作とかの便利面白キャラじゃなくて、本丸古参・千年刀の一つ、酸いも甘いも噛みしめたキャラ造形ベリーグッドです。指差したら敵が出てくるとかそういう超常感とても良いぞー!次作以後の脚本はこの刀も軸になるんだろうなーという予感を感じさせるしっかりとした描写。演者さんが現状でも上手な部類だと思うんだけど、まだまだ伸び代を感じさせられて今後が実に楽しみ。

(追記)すげーーーー歌上手くなてる!!いや最初からうまかったんだけども、ブレスがすごく滑らかになってるし長音がすごく伸びが良い!こんな短い期間でこんなにうまくなんの伸びしろハンパねえ。歌合めちゃ楽しみになった。たづたづけんけん、擬音担当。


あと割とどうでもいいけど足が見えるのがデザイン的に村正だけなんですよね今作。短刀とか脇差の足はなんかいたたまれない(ショタ属性を持たぬもののサガ)ので目に優しい(?)。村正は別枠なんで大丈夫(大丈夫ではないが村正だからおっけー(?))。

 


それと歴史上の人物たち

今回は名前のあるキャラクタは家康とその子供たちだけで、ざっくり紹介すると

 

家長家康(いえやす)

チキンタヌキおやじ!これがわしが望んだ太平の世じゃあ!色は多分黄色じゃなくて金!辛い時ほど笑う模様!

 

長男信康(のぶやす)

死んでる(仮)!掛川のごへいちゃん!緑!推定アラフォーだけど現役武士時代よりめっちゃ動けるのは気のせいではない!死んで(仮)から開花した模様!

 

次男秀康(ひでやす)

赤!御手杵のひと!宝塚の男役スターみたいに遡行軍とセンパイに囲まれている!シューシュー歌っているのがおどろおどろしいけど見ていてちょっぴりシュールな笑い!なお天下はニアピンだけど手に入らない模様!

 

次男双子弟貞愛(さだちか)

紫!神主!かわいい!あっけらかん通り越してもはや激軽すぎでは!ビジュアル写真では神主みたいなかっこしてたけど劇中は違う格好で客を困惑させた模様!差し替えて公式!

 

三男秀忠(ひでただ)

黄色!二代将軍だけど陰が薄い!ショタにしか見えない!信康に似ている模様!

 

以上だ!カラフルで目が痛い!

 

ただ問題があって、
初出の人間が年の近い若い男ポニテ装備×3!

仕方がないとはいえ見分けつかないヨー!名前覚えられないヨー!

名前を初見の劇場で覚えるのは諦めて、髪紐の色も合わせて次男(赤)双子弟(紫)三男(黄色)、と脳内では呼びながら見ていました。

衣装が変わってもカツラは1部中は変えてないようなので見分けがついて安心。

 


ウィキペディア見たらあおさく時点では

長男信康40歳ぐらい

次男秀康双子貞愛25歳ぐらい

三男秀忠18歳ぐらい

なのでみんな元服は済んでるっぽい。(ちなみに家康はアラ還)

 

秀忠が生まれた(初夏)年に信康さんは死んでる(秋)ので、そりゃあ面識はない。どっかで読んだけど秀忠が信康の息子説もあるよね。年齢差も家康・信康と信康・秀忠でほぼ一緒だし。

あと元服したら月代じゃねーの??と思ってたけど、その習慣ができたのは江戸時代の話らしい。江戸時代以前は元服後は烏帽子で肩ぐらいの長さの髪を結って隠すのがマナーだったらしい。しかしイケメンは総髪と決まっているので仕方がないね!

とはいえポニテが流れる感じ、とても色っぽかったです(特に双子)!

 

(追記)双子の兄役の方(ホントは弟らしい)がご病気で緊急入院、途中からつはもの・あつかしで藤原泰衡をやっていた方に変わったんだけど、あの人マジパネエ。数日でものにしてあの千秋楽、おつかれさまでした。

言われてみりゃそうだなと思ったのは、ここに史実なら秀忠いないけどまあその辺はね。有名な、遠くにいたのに関ヶ原来いって言われて慌てて行くも遅刻するやつだし。

 

悪役(?)サイドも。

検非違使(好き)もいっぱい出ててとても良かった…検非違使役の人の殺陣だけ別次元で、何回見てもうっとりする(好き)。倒されかけたときの検非違使の目のライトちらつくのすごく特撮っぽくてなんかワクワクした(好き)。検非違使のブロマイドください。

あとセンパイ、トートダンサーかな?(ちがう)

最初は秀康の心理描写か?と思ってたら刀剣男士予備軍だったらしい。口パクは見えたけど実際にも歌ったりしゃべったりしてるんだろうか、声が激渋な良い声。実装されるといいねえ。映画刀剣乱舞みたく、ミュオリジナル男士がいてもいいんじゃないかなーとは思う。

(追記)配信で確認したところマイクついてなかったので声がそのままってわけではないっぽい。

 

この二人のブロマイドあったら買う層絶対いるので(私とか)、運営にご意見を投げつけてこよう。

お気づきでしょうが、私は検非違使が好きなので今作たっぷり出てきてとても嬉しい。検非違使のブロマイドください!!!!!

 

(追記)検非違使のブロマイドください!!!!!!!!とりあえずアンケートには投げてきた。検非違使のブロマイド!!!!!ください!!!!!

 

 

脚本と演出のこと

割と話の先が読める脚本。

なので安心して見ていられるというか、特に意外性はないというか。とはいえテンポは良い(演者さんみんなほぼ走ってて本当に大変そうだけど)ので眠くなるような話でもなく。

なんか妙なキャラクターいないし(村正に慣れすぎてしまったので違和感がないともいう)割と平均的に楽しめる感じでした。

 

内容としては2面的で、

A面としては、みほとせの補完で、徳川家の家族愛の話、

B面としては、つはものに関連して、刀剣男士とは?時間遡行軍とは?歴史改変の定義とは?という刀剣乱舞」の設定に切り込む話。

A面はあおさく終幕までにケリがついたようだけど、B面は未だ結論出ず、というところで終わっているので次回作以降に期待です。多分明石が軸で出てくるんじゃないかな?「見守らせてもらいますわ」って言ってたし。

どうでもいい話をすると、この歴史改変の話を見るたびにどうしてもドラえもんの影がちらつくんだ…ドラえもん歴史介入してるよね…検非違使こないといいね…

 

(追記)これは完全にオタクの妄想なんだけど。最後の方のシーンで、他の刀は直してもらってるのに明石は傷がそのままな理由。所属がこの本丸じゃないので、審神者の霊力では直せないんじゃないの説。任務の最中なのにぶん投げてどっか行こうとしてたし新参なのにやたら練度高いし。監査官的な?

 

みほとせネタがちょくちょく出てくるのとても楽しかった。トリカブトとか、マイクロ物吉くんとか、「似ている…」とか。

流れるBGMとか家康のセリフその辺が結構顕著だったのでやっぱみほとせを見といた方がいいと思います。

見とくと進研ゼミやってる人の漫画みたいになる。マイクロ物吉くんと「似ている…」はアドリブらしいけど。


今回の演者じゃない三日月さんはこの公演のためだけに映像撮ったんだろうか。歌合も出ないんでしょ?ご苦労様です。

ステもそうだけど、2.5のとうらぶは三日月宗近をなんだと思っているのかちょっと不安になる。じじい役割デカすぎない…?今後も三日月出てほしいんだけど「そして伝説へ…」枠じゃないコレ…?大丈夫かな…

 

(追記)「物部」について考えてたけど、要は歴史から消された存在になった人=もう歴史に干渉できる立場ではないので刀剣男士に協力しても歴史が変わらない人ってことなんだとは思う。今作では歴史改変を危惧する御手杵にそういった貞愛のセリフがあるし、貞愛も史実で5年後ぐらいに死んでしまっている。審神者がいる2205年から見れば、江戸時代以前に生きてた神主の没年が5年ぐらいずれてても表記ミスか数え間違いかな〜って思う程度だろうしね。

歴史改変云々で言えば、徳川家の家臣団になり変わったみほとせのせいであっそ〜ぐらいにしか思えないんだけど(きっと彼らが成り変わったために生きた/死んだ人は少なからずいると思う)、ただでさえ「悲しい役割を背負わされた人」なのに、やっと表舞台から降りられてゆっくり生きようとしているところで今後の人生まで縛った三日月はサイコパスか何か?しかもその縛り方が当人の善意から来るような人選というのがまたキッツイ……

 


そして、なんというか、今回は家族愛の話というのもあって、言ってしまえばブロマンス、今風に言うとクソデカ感情って感じでしたね…腐女子歓喜ヤツ〜。

個人的には刀ミュに関して全然腐女子的食指が動かないので、純粋に楽しんでるだけなんですけど、いやあ、好きな人は好きだろうなっていう演出が多かったですね。

見つめ合ってから我に返って目をそらす(御手杵と貞愛)とか、他意なく抱き寄せる(村正派、2部冒頭)とか、ブラコンって言っていいほどの兄弟愛(信康と秀康)とか、ね。まあ深くは言及しないのですが、全編通してそんな感じだ!

……私は推しを見に行ったつもりがブロマンス・クソデカ感情を見せつけられていた……?

刀ミュはあえて恋愛感情を排除した作り(原作にそう言う描写ないし、とうらぶってBLだろうとNLだろうと過激派多そうだもんな)だと思っているので、主従の絆とか、仲間との友情とか、家族愛に寄るんだろうな、と。正直そのせいで死んでしまった兄を思って闇堕ちした秀康の描写が、見てる側は生きてるの知ってるので若干薄っぺらく感じてしまったのは否めない……

 


葵の花びら(通称・天下)がひらひらと舞い降りてくるの、とても丁寧で良いなあと思いました。色味的にも樹高的にも多分ムクゲだと思うけど(でもムクゲがメジャーになるのは江戸時代以降なんだよな)、信康さんはアオイにもいろいろあるって言ってたから、もしかしたらドリアンかハイビスカスかオクラかもしれない。真相は闇の中。ドリアンじゃないことを祈る。

(追記)やっぱ多分ムクゲっぽい。ひらひらと舞い降りる花弁を掬う家康、それを受け取って返す信康、落ちてくる花びらを取れない秀康、落ちている花びらを拾う秀忠と、やっぱアレ天下なんだね。

 

どうでもいいけど最後の天下が28枚(多分)落ちてきたのになんか意味があったらやべえなって思ったけど特に何も考えてないです。既登場キャラとか?(そっちは数えてない)13枚だったら徳川将軍の人数だし面白いのになって思ったけど特に意味はないのかも。

それと冒頭の映像の花、いまいちアオイ系には見えなかったんだけどあの花は何なんや

(追記)もしかしたらトリカブトっぽいです?信康さんの背中の紋がトリカブトらしいです。

トリカブト漢方薬名は附子(ぶしとも読む)、落人になったけどまた刀を取った信康さん、生きているだけで誰にとっても劇薬な存在。なるほどトリカブトだなと。

 

 


燃えた御手杵の演出が一番印象に残った。本筋とは違うんだけども。

おっきい真っ赤な布シュバーン!ひらひらー!めらめらー!からの一気に回収ー!

(語彙は死にました)

お金かかってるなあ、我々のチケ代が正しく還元されているなあとちょっと感動だった。

お金かかってるなあのアレだと1部のKOTEGIRI GOU GO!もそうですね。まさか1部で電飾が出てくるとは…

 


しかし、なんといっても!今回の刀ミュは!ミュージカルです!!!ミュージカルの民大歓喜!!!

ここが一番の変化かもしれない。じゃあ今まではなんだったんだって言われると、歌の扱いが劇中歌、BGM、みたいなのだったんだけども、今作はだいぶ既存のミュージカルに寄せてきてる、セリフが歌のやつ。ミュージカルが苦手な人が苦手な理由の例に出すアレを思いっきりやってきたなーっていう印象。

鶴丸作戦会議の曲がみんなで踊りながらコミカルで可愛らしいし、村正派の家族デュエットはコーラスと歌詞がめちゃくちゃ良い(村正派がミュージカル慣れしている二人だからかなり聞き取りやすいのもあるけど)。

あと出陣曲な!ちょっとびっくりした、ハーモニーがある!今までありましたっけそんなこと!?(あったかもしれない)

言っちゃあなんだけど個人的には、ミュージカルである以上、ビジュアルで揃えるより演技と歌がうまい方がいいと思う。2.5の難しいところでもあるんだろうけども。今作は歌唱力のアベレージが高めなので聴けるメンツだったっていうのも大きいのかもしれない。

この辺は今後どうなるかちょっと楽しみ

刀ミュは、今までの「2.5次元舞台」枠の一つ上の目指しているのかもしれない。

 


あと回り舞台ですよ!おー今どき!金かかってる!良き良き!私は好き!回転の真ん中で正面を向いてる村正がちょこちょこポジション直してるのちょっと可愛かった。演出的には最初の徳川家勢揃いな、信康さんが自害するシーンあたりが一番綺麗だったなあ。心理描写的にぐるぐる回ってるの好きなのよ。後半ももっとガンガン回してほしい気持ちもあったかな。2部は村正ん時と鶴丸ん時と徳川家ん時ぐらいだったし。

 

(追記)曲について

私は歌詞の認識能力がそこまで高くないので、メロディ追うことの方が多いのだけど…

一部の曲で刺さったやつを書いておこうと思う。とりあえず名前つけてるけど仮称な!

 

風ぐるま」(村正ソロ):やってくれたな、やってくれたな刀ミュうう!!導入一発目でこれ歌われて死にました。わかってる人にはすぐにみほとせ関連の作品なんだなってすぐわかる仕組み。心折設計。

無垢な舞」(鶴丸ソロ):舞っぽい動きとブレス、長音の伸び、総合的な表現力が目に見えて良くなってて、伸び代マジハンパねえ。私が審神者でもこれやってもらったらお礼言う。芯のある声でとてもいろいろ楽しみ。

ドリームライブ(仮称)」(籠手切ソロ):電飾。とくんとくん。二部ですら固有の電飾は出ませんが、一部で電飾が出ます。七色に光るやつ。ど、どういうことだってばよ?!1回目に聞く時はただの夢見るアイドルソングだったのが、先輩と対峙するときにリプライズされて夢を夢のまま肯定する歌になるの、とてもいいなあと思います。

「(出陣曲)」:ウヒョ〜!ハーモニー!僕この和音だあーいすき!!男声は倍音が出やすいのでコーラスだけでご褒美じゃん…?

誰がために」(村正派):なんだ?ご褒美か?(2回目)歌詞の聞き取りがそこまで強くないので二人で喋られると良くわかんなくなる、最後蜻蛉切は「家族」って歌ってるけど村正違うこと言ってない?わかった人教えて〜。家族のテーマだからか徳川家のシーンではアレンジBGMがよく使われてるっぽい。このアレンジ→風ぐるまのワンフレーズ→瑠璃色の空のワンフレーズで繋げる終盤のフレーズがとてもニクい。なんかもう一曲被せてるっぽいんだけどなんなのかちょっと自信ない。ただ繋げてるだけにしては音が多いんだよな。

作戦会議」(鶴丸メイン):曲全体がコミカルで可愛らしい。最後の雑なまとめ方が好きすぎる。「俺の一声で」って鶴丸お気に入りの言い回しなんだろうなって思う。この曲全般かわいい。

不甲斐ない」(明石メイン):こっちもかわいい。秘密があってもは8個まで明石が許してくれます。あと失敗しても後で挽回すればいいって言ってるけど、なんだフラグか?

たとえ消されても」(御手杵・貞愛):カッ〜〜!貞愛は全編通して等身大って感じでとても可愛らしく生き生きと演じられていて、この曲も良い。あとサビのメロディ、めちゃくちゃみほとせの「希望の源(なり変わって歴史を作る歌)」を意識して作ってあるっぽくて、歴史から消されても自分は自分だと歌うこの曲とめちゃ対比的じゃん…suki

」(結城秀康):何回か歌うシーンがあるけど襲、執、醜、讐、そして愁。いろいろ聞こえてきて面白いです。刀ミュ曲は日本語で遊ぶみたいなとこあるよね。

 

はー、早く一部曲込みのアルバムCD出ないかしら。来年のGW前ぐらいに次の公演の先行付きで出るんだろうな…村正派双騎とかどうですかね?!?!(多分ない)

 


2部のこと

2部は楽しければいいんじゃないかなって思ってて、実際楽しかったです。

 

開演前アナウンス:審神者の指示が具体的すぎてワロタ

最初の曲:着てる方がエロいアレ。今回の第一形態かなり暑そう。ヒエーー!セクシィー!

蜻蛉切ソロ:うま!!!さすがです!!!ゴリラ力士!!!(?)

明石・籠手切・御手杵の曲:明石と御手杵めっちゃ踊るやん!?(当たり前)燃えろって、御手杵かわいそうやろ!

全員の曲:推し定点観測しかできないやつ。村正派デュエットパートありがとうございます

MC:明石にやる気を出して欲しいMC。かわいいねえ(孫を見守るアレ)ちょいちょいいじるみほとせ組の先輩感よき〜

鶴丸ソロ:上手だねえ(孫を見守るアレ)

村正ソロ:ヒエーーッかっこEーーーッしびあこーーッ

客降りの曲:客席で片袖を脱ぎつつ大暴れするテロリストども、そこかしこで聞こえる悲鳴。そしてサビに入ると蜻蛉切が荒ぶっていた(マイクレベルの調整不具合?なのか仕様なのか蜻蛉切しか聞こえないサビの1パート)

太鼓曲:双子のシンメ感すっき。大太鼓はやっぱ家康様なのね〜

闘魂歌:おなじみ荒ぶる金座布団

徳川家の曲:おおう!?歌うの!?

刀剣乱舞:やっぱコレだねー

 


どこで出てたか忘れたけど赤い黒子が気になったは気になった…赤い時点でクロコではなくない!?でも黒子よね!?君らなんなん!?

 

おしまい

 

っっって感じでした。

もう一回凱旋で見る+千秋楽はライビュ観戦予定なので、後日また改めて感想を書くかもしれない(書かないかもしれない)。

↓(追記)

書きました。ミュージカル刀剣乱舞ありがとうございました。

 

それでは気が向いたら、またいつか。

「Take Me Out 2018」見てきたよレポ

ごきげんよう、ご無沙汰しております私です。

ここしばらく私生活がバタついていて、推し事ままならぬ日々。

 

私がなんのために働いてると思ってるんだ!!!!!

 

ということでいろんな意味でクッソ忙しいアレをアレして、観てきたよ推しの舞台。

 

「Take Me Out 2018」見てきたよレポです。18/4/8マチネ。

今回も推し氏カッコよかったです。

考えさせられる役だった。

しかし推しの萌え語りはここではあんまり書きません。あ、でもちょっとだけいうと衣装が最高に最高でした。グローブ〜袖の見える肌は絶対領域ですね〜〜。そして推し氏のことだから役に合わせた体づくりしたんだろうなあと思われる…、上腕筋と太ももが最高。好きです。

 

推しが好きで推しの舞台を観に行ってるけど、それはきっかけに過ぎないのかもなあとも最近は思う、不思議なもので。

 

例によってネタバレしかないので、もう半分過ぎたけど観劇予定でネタバレがお嫌な方はブラウザバックだ。自衛は大事ですよねニッコリ。

今回はざっくり内容(特に人物面)。についてのみ。演出とか役者の動きとかも書きたかったけど今ホント余力がないので、もし複数回観劇が叶ったらその時にでも書こうかなと思います。

 

 

あらすじ(公式hpより)

男たちの魂と身体が燃え滾る、「ロッカールーム」。彼らにとってそこは、すべてをさらけ出せる楽園だった。ひとりのスター選手による、あの告白までは-。

黒人の母と白人の父を持つメジャーリーグのスター選手、ダレン・レミングは、敵チームにいる親友デイビー・バトルの言葉に感化され、ある日突然「ゲイ」であることを告白。

それは、150 年に及ぶメジャーリーグの歴史を塗り替えるスキャンダルであった。しかしダレンが所属するエンパイアーズ内には軋轢が生じ、次第にチームは負けが込んでいく……。

そんなときに現れたのが、天才的だがどこか影のある投手、シェーン・マンギット。圧倒的な強さを誇る彼の魔球は、暗雲立ち込めるエンパイアーズに希望の光をもたらしたのだが-。 

(引用終わり)

 

舞台は2003年のアメリカ、メジャーリーグのとあるチーム内のお話。

 

「俺たちは 楽園を失った」

 

果たして楽園とはなんだったのだろうな。

 

さーて楽しい考察のお時間ですよお〜

 

 

いくつもの問題を抱えたチーム

 

この舞台、登場人物の作り込み方が尋常でない。

 

野球の話なのだけど、作中のセリフ通り「野球はメタファー」というのが物語の主軸を示しているように思う。

アメリカの国家としての差別問題を、「スター」たちによって浮き彫りにする。

 

チーム全体として

主人公格であるダレンが、能力的に頭一つチームから飛び抜けているような印象があるけど(ダレンがホームランを打つシーンは音響と素晴らしい振りが相まって見ていて本当に気持ち良いシーンだった)、他のチームメイトもメジャーリーグで総合優勝するような素晴らしい選手たち。

エンパイヤーズには複数の人種のチームメイトが存在する。

スーパースターにして今回の火種であるダレンの父はヨーロッパ系、母はアフリカ系だし、特に本編での言及はないけどデイビーもアフリカ系らしい。ヒスパニック系のロドリゲスとマルティネス、年俸7億の日本人ピッチャーカワバタ。あと選手ではないけどダレンの個人会計士であるメイソンはユダヤ系。

(舞台上では演出上、肌の露出が多くて(舞台の多くがロッカールームでの会話。シャワーを浴びる/前後シーン数が多いのと、衣装替えのための着替えが舞台上で行われる)、ブロードウェイ版ではそこで肌の色の違いを観客に見せていたのかもなあ、なんて思ったりした。)

比較的多いヨーロッパ系も、高等教育を受けてリベラルな思想を持つキッピー、田舎者で無教養なその他大勢の一角であるジェイソン、ないものを持つダレンにむき出しのヘイトを持つトッディ、ガチガチの保守であり理解を止めたスキッパー。そして何にもない空っぽの、「南部の白人」シェーン。

改めて書き出すと全キャラめっちゃ濃いい。

 

それを日本で、日本語で、日本人の役者がやる(いやまあハーフの方もいるけど)。面白い試みじゃないか、TMO2018!

 

ダレンの生んだ波紋

人種的な意味でも濃いのだけど、さらにゲイであることをカミングアウトしたダレンによって、さらに人間関係は複雑になる。

 

スウェーデン系のキッピーは、そのお国柄もあってかLGBTフレンドリーな発想を持てる教育を受けているようで、ダレンを否定しないし、歓迎するそぶりすらある。

トッディやジェイソンは、ダレンが自分の枠の中に収まりきらない、憧れの存在が自分のコミュニティに所属しないと知って動揺し、反発、あるいは迎合しようとしているように見える(それが彼らの所属するコミュニティではアタリマエだから)。

 

逆にそれを相容れないと感じているのは、ダレンの親友だったデイビー、チームにとっての異物であるシェーン、ダレンの父親も同然だった監督の三人。

デイビーは敬虔なクリスチャンで、古き良きアメリカを体現するような人物。愛する妻と子どもがいて、少しいかめしいような古臭いしゃべり方をするし、発想もそれに近い。二週間前まで親友だったダレンに対して悪魔だの地獄に落ちるだの、クリスチャンならではの暴言を浴びせる。(もし先があれば、もしかしたら彼らは和解できたのかもしれない。デイビーは賢い=十分な教育を受けているというような表現もあったし、言い争うシーンはダレンのカミングアウトから幾ばくもなく、「親友の裏切り」に混乱していた部分も少なからずあったと思うから。そうであってほしい一観客の希望的観測に過ぎないけど)

 

シェーンは試合の後半の抑えとしてチームに起用されたピッチャーだ。天才的な投球センスを以って、チームを勝利へと導くストッパー。チームがリーグ三連覇を果たすためには非常に重要な人材である。

しかしその生まれ故か、本人の気質も相まって、チーム内で声をかけるようなものは、キッピーぐらいなもので。

シェーンは学ぶ機会がなかった。シェーンは幼少期を、アメリカ南部のグループホームを転々としながら過ごしている。そのような環境では十分な教育を受けることはできなかったろうし、「南部では差別意識が強い」というのは日本にいても伝え聞く。

彼は、有色人種を「白人以外」と表現することのまずさも、ゲイだからと誰かを否定することへの無意味さも、それを口に出すと自分にとって唯一の野球を取り上げられる可能性も、何もわからない。何にもない。彼はあまりに空っぽで、幼稚で、共感性に乏しく、しかしそれを抑えて上手く生きていく術も知らない。デイビーを「既知の否定」とすれば、シェーンはその対極になるのだろう。

(彼はダレンともっとも強く対立するのだけど、実質はキッピーの鏡の要素なのだと思う。ただここでそれを掘り下げるときりがなくなりそうなのでちょっとやめておく)

 

二幕冒頭では悲劇のダレンに同情したある父親からの手紙が紹介される。

そして書かれている一文「もし息子がゲイなら、もちろんそれを彼が選択したならばですが」。

この文を含んだこの手紙の差出人は、劇中深く追求はないんだけど、監督の本名なんだそうで。

しかし監督はダレンに対して直接自分の意思をダレンに伝えることはない。会見の前に唯一ダレンから予告されたときも、そしてシェーンの再登板が決まって怒りを露わにしたダレンが抗議しに行ったときも。

スキッパーは、この件に関して思考を止めてしまっているんだろう。おそらくこの三人の中で、もっとも「ダレン」を受け止めないのは彼だと私は感じた。

前者二人が否定だとすれば、スキッパーは「認めない」。土俵にすら立たせない。認識しない、というのは、否定よりも酷なことなのではないだろうか。

 

 

主人公格のダレンについても触れておこう。

ダレンはチームに強スラッガーとして籍を置く、黒人と白人のハーフ、そしてゲイだ。

 

序盤のダレンが特によく口にするセリフがある。

 

「俺が神だ」

 

節操なしの日本人からすると異様に自信過剰なセリフにしか聞こえないが、彼がいるのはアメリカで、親友は信心深いキリスト教徒である。そうそう口に出せる言葉ではないように思う。

 

序盤特によく見られる、貼り付けたような笑み、両手をベルトのバックルや腰にやるなどのポージング。

あからさまに他人を威嚇しているようだ。

 

先のセリフも、ポージングも、「強がり」なのだろう。弱い自分を強く見せかけて、自分を守っている。

 

ゲイであることを告白し、否定的な意見をぶつけられたり、それに関して同情するような手紙が多く寄せられてから、ダレンは虚勢をはるようなポーズは減る。

それを見たキッピーは「人間らしくなった」とダレンに言うのだ。

もしかしたらキッピーは励ましのつもりで、そう声をかけたのかもしれない。

しかし、ダレンにとってはそれは今までに自分への否定であり、才能と自信がある人が、自分が弱いことを認めるのは身をえぐられるような思いだろうと、見ていて受け取った。

 

ひとことで言うとしんどい。

 

「Take Me Out」to?

この舞台の題名、直訳だと「私を連れ出して」。

元ネタはおそらくアメリカの有名な唱歌「Take Me Out to the Ball Game(邦題:私を野球に連れてって)」。(日本人選手カワバタのセリフ「ワンストライク、ツーストライク、三振」はここからの引用なのかなあと思う)

※参照:Take Me Out To The Ball Game - YouTube

非常に牧歌的で、なんだか聞いていると体が揺れてくるような。

作中も、野球の試合シーンにはこの曲とともに、ユニフォームに身を包んだ演者たちが躍り出てくる。

その時の演者の顔は、心底楽しい、というような表情もあれば、真剣で何者も入り込めないような集中度の高い表情もある。

彼らは試合中、人種やセクシャリティを意識することはない。彼らはその瞬間、野球をするためだけに存在しているのだ。

 

そして、ダレンのカミングアウトの会見以前は、それはロッカールームまで地続きのもので、そこはある種楽園だった。

チームの勝利という一点のみを見据えたチームメイトたちが、ひたすらに野球にさえ打ち込んで入ればよかったのだ。

シャワーを浴びるために、もしくは試合に赴くために、そして家に帰るために、ロッカールームでどうやって服を脱ごうと、イチヂクの葉は必要なかった。

 

しかしダレンの落とした波紋により、ロッカールームのアダムたちの無垢は失われる。

あるものは恐れ、あるものは怒り、あるものは迎合しようとする。

禁断の実は知恵の実でもある。

知ってしまった以上、後には戻れない。

 

「俺たちは 楽園を失った」

 

ダレンの告白が禁断の実だとすると、カミングアウトのきっかけになったデイビーこそが邪悪な蛇、悪魔の化身である、と言うのも痛烈な皮肉に見える。

もしこのことに敬虔なキリスト教徒であるデイビーがこの構図に気づいていたとしたら、ダレンを猛烈に否定するのもあり得る、のかもしれない。

 

この演劇は、我々を一体どこへ連れ出そうというのだろうか。

 

マイノリティが社会に受け入れられること?

悲劇の主人公が幸せになること?

あるいは勧善懲悪?

 

……確かに終盤でダレンはメイソンと恋人関係になるし、ダレンに否定的だった登場人物のうち2人は物語から退場する。

しかしながら、起きた悲劇は覆せないし、退場してしまった2人は好きだったはずの野球を、そして人生を取り上げられてしまっている。

たとえダレンがある種の幸せをつかもうと、ダレンはゲイで有色人種というアメリカでは被差別的なアイデンティティを持ち続ける。それは彼は幸かろうと辛かろうと、事実として存在する。

 

この物語は、誰もが幸せに終わるような甘い物語ではない。

あの舞台の観劇者が、目的地を示されずに連れて行かれたのは、全てがハッピーエンドではない「現実」だったのだろうか。

 

綺麗な終わりなど、現実にはない。

たった2時間の観劇だったけれど、それを知るために、私はあの席についていたのかもしれない。

推しを推す姿勢について

あんまり長いの書く気もないんだけど、すごい気づきがあったのでこっちにも書いとく!!!

 

https://m.youtube.com/watch?v=n5awUcMYIqE

 

推しさんが好きな曲なんで(私も好き)、なんとなく流し見(聴き?)してたんですけど。

 

私推しさんのコーラス部隊になりたいんだわ!!!!!!

 

我ながら何言ってんだオメェ?案件。

脳内の理不尽なまでに冷静な悟空さが精神攻撃仕掛けてくる。

ちげえんだ悟空さ、聞いてくれ。

 

私は合唱かじってまして、青春をその辺に捧げました(お陰で女子にモテた)。

合唱って当たり前なんですけど、いっぺんに出せるのは一人一音なんですよね。

(ホーミーは合唱ではないと思うので除外)

複数人が同じ、もしくは別の音を出して、一つのハーモニーを作り上げて、さらにそれをメロディにする。

 

 それで推し氏を舞台の上に祭りあげたい。わっしょい!

 

基本的に脇役根性というのもあるのかもしれないんですけど、私によって輝く推しって最高に最高じゃないですか!?

 

「全にして一、一にして全」というのが、私が推しを推したいスタイルなんですな。まあ私が神なんですけどねこの言い回しだと。

 

もちろん一人で推したところでハーモニーにはならないので、地球のみんな、オラに力を分けてくれ…!的なアレで、同担は歓迎なのかも。

かも、と言って言い切れない部分ではあるのですが。あんまり他人に興味がないからね…

 

一つ言えるのは、推しさん、好きやで!!!ってことですね!!好きやで!!!

 

今書こうとしている記事がなかなか難産ですが、書きたい内容なので書きたい。

ちょっとタイムリーなんで笑

 

今日はここまで。

TENTH最終週を見に行ったの話。

脳みそが新鮮なうちにレポを書いとこうと思う。

 

 1/25 1330- TENTH @日比谷シアタークリエ

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推しが出演とのことで見てきた。最強寒波やばいかったっす。

TENTHはシアタークリエが十周年ということでちょっとしたお祭り公演。

二部構成になっていて、一部はクリエで上演されたミュージカルのダイジェスト版、二部は別のミュージカルからいくつか曲を持ってきてガラコンサート。

3週間の公演中、週替わりでそれぞれ作品を紹介(もしくは懐かしむ)といった体。

 

あー楽しかったー!

全力でネタバレしていくスタイルなので、お嫌な方はブラウザバックプリーズ。そして例のごとくニュアンスで書いてるので間違ってる箇所はあると思う。どんまい。

 

第1部ダイジェスト版「この森で、天使はバスを降りた

 

生音にまず喜ぶ。

生演奏!わーい!贅沢!

 

刑務所から出たばかりの主人公・パーシーが、とある田舎町にやってくるところから物語が始まる。

 

いきなり元受刑者が主人公、そしてだいぶやぐされてるとあって、なかなかパンチが効いてる。

 

舞台となるギリアドには「何にもない」。

かつては採石場として栄えていたらしいが、今では排他的な、よくある人のいない田舎町だ。

 

「あてはないけどバスで行こう

 見知らぬ道を 満月は導いてくれる」

 

世話になる家主兼雇い主は可愛げのない愛想の悪いばあさんだし、噂好きなおばさんはすぐに悪い噂を流すし、過去にこだわる昔気質の男はよそ者のパーシーを除けようと躍起だし、その男の妻は自分の名前すら言いにくいほどに抑圧されているし、好意的に接してくる若者は外で傷ついてきた者へ外の憧れを語るし。

一緒くたにギリアドという片田舎に押し込められて、町に唯一の食堂である、スピリットファイア・グリルで顔を合わせる。

 

「どうなる? どうする?

  きっと何かが起きる」

 

対比の物語だなと思った。

よそ者のパーシーが美しい森を愛し、地元の人々はそこに何の価値も見出さない。

過去に疲れて森を求めて外からバスで来たパーシーに、自分の未来のために森を売って外へ列車で行く夢を語るジョー

何も語ろうとしないハンナと、有る事無い事言いふらすエフィ。

何も持たないが自由を手に入れたパーシーと、夫は愛情を示すものの何もさせてもらえないシェルビー。

消えたイーライと、イーライを神格化し理想を語り続けるケイレブ。

過去の栄光にすがりつくケイレブと、過去を忘れたふりをするハンナ。

 

そして母子の物語でもある。

 

そもそも主人公のパーシーが刑務所に入ったのは、義理の父に妊娠させられた挙句誰にも言うことができず、さらにその義理の父に暴行を振るわれ子が流れてしまった、と言うことが発端(しかも罪状はその義理の父をカミソリで滅多刺しにして殺した、というやばいヘビーさ)。

その話を聞いたシェルビーは、友、あるいは母のように、泣くパーシーに静かに寄り添う。

最初はおどおどしていたシェルビーが、パーシーとその友情、そして変化した環境に触発されてどんどん開花していく様がとても好感。

 

「ひとりじゃないの 変われるのよきっと

 

そしてイーライ・ハンナ親子。

華々しく戦争へと送り出され、今まで行方不明(戦死)ということになっていたイーライは、実は生きて戻ってきていた。しかも逃亡兵として、名を明かさず森で暮らしていた。

息子が戻らぬ悲しみで死んだと言われていたハンナの夫は、実は逃げ帰ったイーライを許さず、失意のうちに死んだのだったと。

ハンナは息子を追い出す夫を止めなかったことを悔いていて、そしてイーライはまだ母親は許していないと考えていて。

 

「この月を見つけて 帰る場所はここ」

 

やさぐれていたパーシーが明るく振る舞えるまで、自分の名前すらまともに言えなかったシェルビーが意思表示をして夫と喧嘩ができるまで、過去に固執するケイレブが見せかけの理想を捨てられるまで、「何もない」ギリアドに全てがあるとジョーが気づくまで、ハンナとイーライが向き合えるようになるまで。

 

傷ついた人々の傷が、癒えるまで。

 

「光よ照らして」

 

その物語は華々しくなく、そして派手ではない。

しかし優しくて、ちょっぴり感傷的になる、そんな心動かされる愛おしいものだった。

面白かった!ありがとうTENTH!

 

強いて言うなら前後の説明のない演技(けどまあ理解はできるからカットされたのだと推測)が見たいので、フルバージョンの再演超希望!!

 

皆さん好演で誰が一番とも言いがたいけど、坂本真綾さんの印象は変わった!

今まで声優としての顔しか知らなかったのが悔やまれる…!

 

役としては食堂の三人娘(?)がとても良かったなあ。手紙がいっぱい来て喜んでるシーンの可愛らしいことったら。

テーブルクロスを暗い地味な色から明るい花柄に掛け替えるシーンが個人的にお気に入り。

それとパーシーの最後のソロナンバー、とても印象的だった。

 

「抱えてる 心の闇
 底なしの 谷に似ている
 わかってる あたしの罪は 償えない
 消せはしない」

(流石に覚えてないのでググったら出て来たやつ)

 

ギリアドに住む人々を変えたパーシーだけど、心には深い闇を抱えてる。

だから

「光を照らして Shine」

なんだよね。自ら光り輝くことはないと、思ってしまっている。

演劇の報われエンドではジョーとくっつくのかイーライとくっつくのか、はたまた他の選択肢があるのか。

その後のパーシーが気になる終わり方だった。パーシーは自分の光を見出すことができるのだろうか。

 

個人的に、終わりを迎えてなお続きが気になる物語というのは良作だと思ってる。

 

舞台演出も上記のシーンが印象に残ったな。

イーライに導かれて、パーシーが秋の美しい紅葉を、朝日の中で見る。

その朝日の表現が素敵だった。

秋だからと単純に黄色やオレンジだけではなくて、夜の名残である青や、朝日の表現としての赤で、森の木々は虹色に輝いていて。

パーシーの目にはこう見えたのだろうなあ。本当に綺麗だった。

 

あと、終盤につれて客席から涙ぐんで鼻をすする音がよく聞こえていた。

泣かせる演技ってのは、いいよねえ…。

 

 

第2部ガラコンサート「RENT」「ZANNA

15分ほどの休憩を挟んで第2部ガラコン。

セトリはこちら。

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RENTもZANNAも残念ながら未見。

コンサートなのでさらっと流しておこうかな。

 

「RENT」

RENTメンバーみんな歌うますぎてやばい。出演のどなたかが「RENTは半端なくエネルギー使う」とツイートしていたのも納得の熱量!

すっごいなこれ。こんなに短いガラコンでこれとなると、本編どうなるんだこれ!見たいー!

気になった方は宮本美季さん(アルトボイスカッコよい)、米倉利紀さん(歌声とビジュアルがストライク)。

それとソニンさん。見たのテレビ以来だったんだけどすごいパワーだった。すさまじすぎておばちゃん呼ばわりされてたw

 

ZANNA

原色が眩しい衣装。推しさん原色よく似合う。しつこいどピンクとか。

ZANNAはあらすじを知らない人も多いだろうといっぱい解説してくれた。ありがとう。そこまでいくともうネタバレどころじゃないよ喋ってていいのか!?とも思いはしたけど。

まあいいか。

ZANNAはコメディなんだそうで、キャストさんも全体的にゆるい雰囲気でとても楽しげだった。

ZANNAで一番気になったのは田中ロウマさん。ビジュアルからしてやばい。腕むきむきなのがノースリーブなのでよくわかる。ツーブロの刈り上げ強めでピンクだし。腹面にはでかいZがキラキラとしている。やばい。

そして歌声は、とても優しくて柔らかなお声。ギャップ萌えってやつね把握。

 

ガラコンはRENT「Take Me Or Leave Me」(ソニン宮本美季。とってもパワフル!殴り愛)、ZANNA「いつか来るかもしれない日」(田中ロウマ。 穏やかに、切々と、)、そしてRENTの作者であるジョナサンラーソン作詞作曲「Love Hearts」(ガラコン出演者全員。たまたま観劇した1/25はジョナサンの命日だったんだそうで)がとても良かった。

 

あーーまた見たい。

本当にTENTHありがとう。

TENTHで演った作品の数々、再演お待ちしてます!

 

投げつけられた善意は受け取られるべきなのか?

ごきげんよう、私です。

 

先日、年明けを推しとともに祝うという、稀有な経験をしてきました。

今年は始まった瞬間から推し氏と推し事仲間と時間をともにした、とあってなんだかすごい一年になりそうな予感。

 

さて、常に推し氏のことで頭がいっぱいといってもよい私ですが(直近の舞台が珍しくフォーマルな格好(しかも鍛えているせいで太ももがパツパツで最高)をしている推し氏に滅多打ちにされているちょろいファンとは私のことである)、まあ、その推し氏のブログや、その他ツイッターを目にしてちょっと思ったことがあったのでなんぞ書いてみようかなと。

 

 

投げられる善意は受け取られるべきなのか

 

この趣味(若俳オタ)の面倒だなと個人的に思うことには、ビジネスと感情のやり取りが同時に行われていること。

いわゆる人気商売というやつ、板の上に立つ仕事全てには避けられないものなのだろうし、大変だなーと思って見てる。

(俳優アイドル系の中古ブロマイドの取り扱いのあるところを覗いたら、ランダムの小さい缶バッチ一個2160円て凄まじい。需要供給曲線が脳裏にちらついた)

 

好意や善意。

その叩きつけられたものは受け取る必要があるのか。

はてさて。

 

サビ残の価値

私も、若手俳優たちがせっせと更新するSNSやブログを流し見しているのだけど。

マネージャーさんや周囲がやってることもあるんでしょうけど、アレ、ご本人が更新しているなら業務外も甚だしいよねえ。

んなことしてる時間あったら他のことに使った方がいいんでは?と本気で思う。

 

ここのブログに書いてあるのを読んで、本当にそうだなと深く同意したので引用しておく。

俳優とか人前に立つ職業の人は、もうその道を選んでくれた時点でとてもありがたいし、仕事してる姿に色々もらってるから、ファンのことまで考えなくていいよ!と思う。勝手に好きで勝手について、勝手に財布開きますので。SNSとかブログとか、無料でサービスしなくていいです。

【ドラフト】若俳サービス残業接触商法とかあれこれ - 晴れた日のねどこ

 

 ファンサービスといえば聞こえはいいけど、SNSの更新って無給の営業じゃん?

さらにそれをしたからといって、必ずしもプラスの影響が出るとは限らない

 

ただ、自分でもしてしまって良くないなと思うんだけど、推しと若俳オタの間にはビジネス的なやり取りがあるので、無料のサービスすら意味を求めてしまう

 

意味なんかなくてもいいはずなんだ。私だってこのブログに意味を求められたら困る。

書きたいこと書いてるだけだから。

 

 推しは芸能人だし、ツイッターやブログやインスタなどのSNSが営業=仕事の意味合いもあるのは確かだけど、推しにその全てに対しての責任や意義を求めるのは違うのではないかと思う。

まあ、発信した以上はある程度の収拾つけてほしいけどね。

推し氏もいい大人なんだし。迂闊自重してくれー。

 

そして配信された内容に関して、こっちが真に受ける必要もないと思ってる。

フェイクかも、間違ってるかも。

もしくは私のとっては有害な情報かも。

生きる人間のすることだ、それが常に最善とは限らない。

 

推しは神様ではないから。

生きてる人間同士、コミュニケーションに齟齬が生まれるなんて、よくある話じゃないか。ね。

 

 

推しへのプレゼント

さて、推しへのプレゼント問題についても、私の中では同一の問題なので触れておく。

 

SNS配信問題が推しからこちらへのボールだとしたら、プレゼントはこちらから推しへのボール。

 

推しは、我々からのプレゼントを素直に受け取って、喜ばなくてはならないのか?

 

さーて。

 

私は全く同担拒否のケのないやつ(同好の士の話は面白いので聞きたいけど、嫌ったり拒絶したり攻撃したりするほど赤の他人に興味を持てないことが多い)なので、イベントとかのアフターで、そんな話を聞いてたりするんだけども。

 

いや!!?!?それ推しが欲しいと思うの!!?!?!??

 

みたいなね。あるよね。

数万もするぬいぐるみとかね。

 

自分がもらって嬉しいもの≠推しがもらって嬉しいもの

推しに似合うと思うもの≠推しの好みのもの

推しが以前好きだと言ったもの≠推しが今ファンにプレゼントされて喜ぶもの

 

いろいろ書き出したけど、要は、それ相手の立場に立って考えてる?ってこと。

 

いやもしかしたら推しが信楽のたぬき欲しいっていうタイミングあるかもしれないけど、それをファンからのプレゼントでもらって喜ぶか?ってこと。

これ書きながら私の推しは信楽のたぬきもらって喜ぶ可能性が…なくはないなと思ってしまったんだけど…ごめん推し氏…

 

「善意」は免罪符にならない

赤の他人、しかも営業の顔しか知り得ない推したちの「本当に欲しいプレゼント」なんてわかるわけがない。(推しと知り合いの方は…勝手になさって)

 

そもそもプレゼント欲しいかどうかもわかんないでしょうが。

プレなんて所詮、こっちからの気持ちの押し付けにすぎないわけでしょ?

 

「良かれと思って」。

 

これを武器にするのはいささかベイビィちゃんにすぎるよ。

悪気がないことが悪意のない証明になるとは思えない。

未必の故意ってやつだな。

 

それをすればそうなる、という可能性は分かっていたのに、しなかった、もしくはした。

 

「良かれと思って」、相手が望まない可能性が多分にあるものを贈って許されるのは、庇護対象の子どもぐらいじゃないだろうか。

大人ってめんどくさいね。

 

プレゼントの価値 

前項では推しにプレゼントを渡すにあたって、という立場で書いたけども。

 

そもそもの話が違うだろ、プレゼントは推しのためじゃない

 

自分が満足感を得るためのものだ。

 

喜んでくれたらラッキーぐらいの、自己満の贈り物だよ。

 

プレゼントを推しが喜ばなくても当然だ、別に欲しいとリクエストしたもんでもないんだから。

それを忘れちゃいけない。

 

この舞台鑑賞および推し事ってやつは、お金と時間をじゃぶじゃぶ溶かす大人の趣味だから、そういうのが理解できないベイビィちゃんたちは、おうちの人と一緒にテレビに映る推しでもおとなしく眺めてなよ。

メンタリティまで口出そうとは思わんよ。

 

 まとめ

コミュニケーションはキャッチボール。

 

とはいえ、投げられたボールを受け取る必要は必ずしもないし、逆に投げたボールが受け取られない可能性も十分にある。

 

しかし我々の趣味とはなんだ?

推しに貢ぐ?推しに見つけてもらう?

否、否。

 

推しが輝くのを見ること。

板の上で輝くあなたを見ていたい。

そうでしょ?

 

だから、よりたくさん見るためにSNSの更新をチェックしたり(推しもその需要に応えて更新したり)、出演作にお金を落とすだけじゃ自分が満足できないから贈り物をする。

 

SNSやプレゼントなんて、所詮エクストラ。

本来の推しの仕事や、本来の我々の趣味や動機からは外れた行為であるのを忘れずに、用法用量を守って無理なく楽しもうよ。

だって推しは輝いてるんだぜ。

そんなところで疲れて本来の目的を楽しめなくなるの、もったいなくない?

私はそう思う。

 

推しのSNSの更新喜んだり、推しへのプレゼントを悩んだりするの、すごく楽しいよね。

それは私もそうだし、それを楽しめる気持ちは尊い

でも本末転倒になっているのを見かけると、やっぱりちょっと切ない。

 

推しも私も同担も他担も、みんな楽しめるといいよなあ。

推し事ってのは、本当に楽しい趣味なんだから。

「良きファン」でいたいなと思うこと

 

若手俳優である推しにハマって、強く思うことがある。

「良きファンでいたい」。

でも、良きファンってなんだろう、となんだか堂々巡りしてきたので、ちょっと整理するためにも文章化してみようと思う。

 

「良きファン」とは?

「良きファン」というのはそれを受け取る相手によって多角的に捉えられると思う。

ここでは三つの視点から。


①俳優にとっての「良きファン」
→自分を応援してくれてる/追いかけてくれる、自分を観にきてくれる/自分のためにお金を落としてくれる、自分の不利益にならない


②舞台にとっての「良きファン」
→舞台にお金を落としてくれる、舞台の品位を落とさない、舞台の不利益にならない


③ファンにとっての「良きファン」
→俳優の品位を落とさない、俳優の不利益にならない、観劇の妨げにならない

 

まあ、これは個人の考えなので他にも意見はあるだろうが。

 

全てに共通するのは、相手(ここでは俳優、舞台および他の観劇者)の不利益にならない、ということ。

お金をおとす、というのは、舞台や俳優にわかりやすい利益を上げているわけだけれど、

誰かへの利益を上げていれば、誰かの不利益になる行動を取ってもいいのか?

(マイナスはプラスで充填しきれるのか)

というのが今最もモヤっとしている点。

そこにフォーカスを当ててみようと思う。

なお、下記は聞いたことがある、とだけ。

それを受けた一個人がどう思ったか?という個人の意見であり、個人攻撃の意図はない。

気分を害されたらブラウザバック推奨だ。

 

 

言い分「金を払っている以上は客」

ある舞台で、お子さんが騒がしくしていたそうで。

もちろん保護者がいたようだが、自分の観劇を優先し、子どもはそのままだった…とか。

ちなみにその舞台は子ども向けの舞台ではない。

子どもが見てもわからない、とまでは言わないが、騒ぐような年ごろの子どもには少し難しかったように思う。

ほとんどの劇場が子ども向けでもない限り未就学児はお断りの場合が多いから、小学生(実際にそうであるかは不明だ)だったのかもしれないが。

おそらく、その保護者だった観劇者の言い分はこれ。

 

「金を払っている以上は客」

 

ふむ。

接客業ではよく目にするセリフのように思う。

しかし客=チケット代を払っている=舞台に金を使っている、なら何をしても良いのだろうか。

 

全くそうは思わない。

 

そもそもの前提が間違っているのだ。

 

売買契約は、金銭と権利を交換するための契約だ。

モノの代金を支払うことで、そのモノの権利を得る。

チケット代を以て得られるのは、舞台を鑑賞するための権利。

座席を私有化するための権利ではない。

まかり間違っても、観劇の、ひいては舞台の邪魔をするための権利ではないのだ。

 

では迷惑料を払えばいいのか?

 

否々。

何しろ座席の、隣、前、後ろ。
そこに座っている人間は、ほとんどの場合、同じ条件で劇場に入っている客だ。
そして演者も、音響も、照明も、もちろん観客も、生きた人間が関わっている。


些細なことであっても、作品のクオリティに影響がもたらされることは、十分にあり得る。

もしそれが害されたとしたら、いくら金を積もうと失われたクオリティは帰ってこないのだ。

そしてその損害を受けるのは、関わった全ての人間とその時間で、それを金銭でまかなうのは不可能である。

時間を賠償する金銭には、代替的価値しかない。

 

「舞台は生もの」とは、なかなかに至言だと思う。

 

 

 

推し事マウント 

若俳沼でよく目にするマウンティングは

「私の方がたくさん現場に通ってる!」

という主張が多いように感じる。

 

が、もしマウンティングをするなら、それが誰かの不利益になっていないか少し自省してみて欲しい。

 

まず、「現場に通う」という点について。

その行為自体は否定しない。

というかむしろ、沼においては推す姿勢として褒められる行為だと思う。

 

若手俳優なんて、地盤もなければ後ろ盾もない。

だから「若手俳優」なわけで。

それを応援するにあたって、出演する舞台を観に行くことは

「この人を応援するファンがいますよ」

「この人を起用すればチケットを取る客がいますよ」

という意思表示になる。

運営側には有効なアピールだ。

仕事がなければ、イケメンだろうがなんだろうが食っていけないわけだから。

 

たくさん通って、たくさん推しに還元するファンはありがたい存在だと思う。

 

実際、現場にたくさん入ったところで、痛むのは当人の財布ぐらいなものだ。

その行為自体は、誰にも不利益をもたらさない。

(まあ、もしかしたら無理やりに休んでいるために若俳オタがいる職場は迷惑を被っているかもしれないが、ここでそれを論じるのは推し事には無関係で無意味なのでしない)

 

ただ、闘鶏か何かと思うほど、同族のファンに闘志燃やすような者も見かける。

 

「だって他の誰かより、私の方が彼を好き!」

 

うーーん?

ちょっと待て。

 

誰かを好きという気持ちって、他の人と比べる意味、ある? 

 

否。

その発想、非常に腹が立つので、のでソッコーで否定してやる。

 

愛は誰かと比べるべくもないのだ。

そうすることで、自分の気持ちも否定しているのに、気づいているのだろうか?

 

 確かに「推し事」における愛とは、早い話がカネと時間だ。

舞台や俳優にどれだけの金を貢ぎ、どれだけの時間を割いたか。

時間経過と金額は基準があるから測れる。

測れる以上、誰かと比べることはできる。

 だが、比べるにしてもそれだけでは弱い。

 

この推しへの愛とは、それそのものではなく、正確に言えば推しに割けるカネと時間の「割合」だからだ。

一年は365日、一日は24時間。

これはみんな共通だが、生きていくのに必要な時間はそれぞれ異なり、それ以外の余暇を、趣味の時間に当てる。

その趣味の時間のうち、どれほどの量、ではなく割合を割けるか、ということ。

 

また割合とは総量に対するものだけではなく、濃度の話でもある。

同じ時間に同じ劇場に足を運んで観劇をしていたとしても、ただただぼんやりと眺めていたか、舞台の流れを考えながら見ていたか、ひたすら推しを観察していたか、舞台装置の動きを見ていたか。

また、それを見てどう思ったか。

同じく時を過ごしていても、その濃さは受け取り手によって全く異なる。

そしてその濃度の価値も、受け取り手によって違う。

 

時間的な話をしたが、金銭的にも同様だ。

1円の価値は人により異なる。

 

つまり、推しへの愛とは一見して比べられる「愛」ではあるが。

その実、個人それぞれで割合・濃度が違う、しかもその割合はその人の心情や価値観にもよるのだから、やはり比べられない、というのが私が至った結論である。

 

故に「推しへの愛」は比べる意味などなく、むしろそんな浅い部分で誰かと比べてみる、というのは、その濃さや割合、そしてそれを大事と思う自分の気持ちを否定することにもなる。

 

それでも他人と比べずにいられないというなら止めはしないが、こちらは相手をしてやる義理もないのだ。

比べる意味などないのだから。

(逆説的に言うと、自分の中では比べられる。がその辺は勝手にやってほしい。)

 

ただ、相手にしない者に突っかかるのは単なる迷惑行為なので、ご遠慮いただきたいところである。

 

 

 

 まとめ

 

長々と書いたが、結論は一言。

 

黙って財布を開けませい。

(無理しない範囲でね)

 

そうすれば誰もしんどい思いもしないし、推しもお金が入ってハッピー。

それが一番良いのですよ、きっと。

 

 

私事なんですが、先日のらぶフェスが推し事納めだったはずなのに、チケットがあると教えてもらって現場を最後の最後に増やしました。推しとカウントダウンだよわあい。我ながらチョロすぎる…

刀剣乱舞祭2017を観に行った話。

12/20、年の瀬なさいたまスーパーアリーナ(以下SSA)にミュージカル刀剣乱舞(以下刀ミュ) 刀剣乱舞祭2017(以下らぶフェス)を観に行ったよの感想。

別の日に行く予定だったのですが仕事と重なり、運良く友人が譲ってくれたチケットで参戦してきました。

ありがとう友人氏。

 

私、刀剣乱舞の蜻蛉切さんが好きなんですよ。

推し氏にドボンしたのは出演の2.5D舞台のせいなんで。

刀剣乱舞に出てくる武人の槍なんですけど、最初はビジュアルが好みだなから入って、なにこのかっこいい槍…SUKI…になるまで幾ばくもなく、

私は一回標的が定まるとほぼぶれない・揺らがない性質なのでずっと好きなまま今まで至ってるんですけど。

(※好きの量は増減する)

 

 

んで、ついに見に行ったんだよ、すっごいやつ。

キラキラ光っててね…

らぶフェスのことだよ!!!!

 

 

カーーッ!

 

今から配信が楽しみです。

 

らぶフェス、初参戦だったのですけど、意外とミュージカルだった。

フェスっていうぐらいだから、徹頭徹尾歌って踊るのかな?と思ってたら演技してる部分も多くあって(つはものの宣伝も兼ねてる気がする)、いろんな意味で楽しめた。

今回のレポはかなり審神者寄りのレポなんで、若俳的なポイントでは殆ど見てませんので悪しからず。

 

 

とりあえず覚書をば。書きたいところを殴り書きます。

記憶を頼りに書いてるのでちょいちょい間違いあると思うけど許せ。

 

 

竹千代コンビがとにかくかわいい

 

「竹千代!」

「なんじゃ竹千代!」

 

すっごくかわいかった竹千代コンビ。

刀ミュ三作目の「三百年の子守唄(以下みほとせ)」ではWキャストで子役があって、その二人で上演前の諸注意(「真剣法度」だってかわいい)をやってくれたんだけど、かわいいの一言でした。

 

朱「音やでんぱ、の出るでんしきき、はでんげん、を切っておくのじゃ!」

幸「でんしきき、とは?」

朱「すまほじゃ!」 

 

竹千代(徳川家康と信康の幼少期役)が知らない単語は平仮名で発音してたね。あーかわいー。

私にも小さい子を可愛いと思う気持ちがあったのか。新鮮な気持ちだ。

 

 

青江推し大勝利

今回のらぶフェスのテーマは百物語だそうで、にっかり青江推し審神者さん大勝利じゃないですかー!よかったね!

 

「ひぃとつ、ふたぁつ、みっつ…」

 

最初の曲はみんなで歌うものの、短調でおどろおどろしい。

ろうそくを持った刀剣男士に暗い夜道を案内されてるイメージ。私のイメージするにっかりさんってこんな感じ。

それをみんなでやってるのが導入曲。

 振りが同じなんだけどそれぞれちょっとずつ違う感じで(推し周辺しか双眼鏡では観測できてないんだけど)、面白かったですね。

16振りもあるからね…目が足りないなあ…(音割れェ…)

 

小狐丸の「小鍛冶」

百物語に乗せて、それぞれの刀剣の逸話が語られるんだけど、小狐丸の小鍛冶(「あどうつ聲」という曲らしい)すごくよかった。

いきなりのソロナンバーですよ奥さん。

刀ミュ最新作の「つはものどもがゆめのあと(以下つはもの)」での曲らしいですね(未見)。

 

「打つのは、博打ィーー!」

 

ハリのある発声。

おー、すごい。歌舞伎っぽい。これぞ舞台って感じの曲、かっこいい(語彙力は死んだ)。

 

導入の曲は全体の説明であって、この曲が今回のらぶフェスに観客を引き込めるかの分かれ目だったと思うし、大変なプレッシャーだったと思う。

らぶフェスはつはものの公演の間にぶっこまれてるそうなので(後期は1月〜)、脂の乗った小狐丸をさあさ御覧じろ、って言われてるナンバーでしたね。

 

(後ほどツイッターで回ってきたんだけど、私の観た回、このパートで他の回では聞いたことのない音声が聞こえた人が複数いたらしくて(ああ…という感嘆のような声)、ちょっとゾワっとした。怖い話してると寄ってくるっていうけど寄ってきたものが満足してくれたなら役者冥利につきるだろうなあ)

 

 人間キャストたちによる「刀剣乱舞」「歓喜の華」

 もしかしたら、今回のらぶフェスで一番グッときたのはここかも(推しは別枠です)。

刀ミュでは、けっこう人間キャストが出てくるんですね。

一作目「阿津賀志山異聞(以下あつかし)」四作目「つはもの」では源氏の方々、二作目「幕末天狼傳(以下てんろー)」では新撰組、三作目「みほとせ」では家康とその周辺。

(漢字難しい)

 

これらのキャストさんが一堂に会すのはやっぱりらぶフェスならでは。

人間キャストたちが歌う「刀剣乱舞」が激アツすぎて火傷必至。

サビの意味合いが刀剣男士が歌っているのと意味合いが変わって聞こえてくる。

 

「誇り胸に抱きて この身燃え尽きるとも」

 

ダンスのフォーメーション、徳川勢(=江戸幕府の開闢)と、新撰組(=江戸幕府の終幕)が対になるように配置されてる部分が散見されて激アツでした。

 

もちろん太鼓も。

弁慶さん大太鼓だったのでついずっと観てしまった。カッコイイ…

 

 

 

 神剣組の救済

みほとせに出てくるにっかり青江と石切丸。この二人をここでは神剣組と呼ばせていただく。

ゲーム公式でもみほとせでも、神剣になれないにっかりさんと神剣の石切さんのそのことに関する会話がある。

ゲームの方はにっかりさんをかなり切って捨ててる印象を抱くんだけど、刀ミュではそんなにっかりさんを救済すべく描いている印象があるね。

 

らぶフェスでは百物語の一つとしてにっかり青江の逸話をにっかりさんが話すのだけど、いざ青江が幼子を切るぞとなったときに

 

「にっかりさん、百物語は九十九話で止めていいそうだよ」

 

と止める石切丸。なんだよスパダリかよ石切さん…!惚れてまうわ…!

 

内番衣装ありがとうございます!!

らぶフェスでのお楽しみの一つ。

刀ミュ本編の一部衣装=ゲーム戦闘のやつ、二部衣装=アイドルのやつ(変形あり)に加えて、内番衣装が出るんですねー!やったー!

SSAとか武道館でジャージ着て踊るの、よく考えるとなかなかすごい衣装だな。

我が推したる蜻蛉切さんはストイックな黒袴なんですけど、動くと白いタスキがヒラっと舞ってご褒美でした物理演算gj。

あと階段で袴の裾持って上がるのすごくキュンときた。なんだよ可愛いさんかよ…

 

蜻蛉切の精度

さて、私は蜻蛉切をひたすら推すマンなので語らせていただこう。
蜻蛉切、みほとせのときとちょっと違ったよねえ?
まず声の高さ。演じているspiさんは比較的声の高い役者さんだけど、結構意識して響く低音を出しているみたいだった。
刀ミュでの蜻蛉切の主な役割は千子村正のストッパーで、みほとせナンバー「脱いで魅せまショウ」ではクネクネする村正に

「脱ぐな!」
「村正は悪いやつではないのです」

とか言う。
もちろんみほとせの時も蜻蛉切だなぁと感動していたわけだけど、「蜻蛉切」というキャラへの解釈が上がっているように感じた。
個人的な解釈だけど、本田忠勝と重ね合わされるみほとせでは純粋な蜻蛉切の部分はあまり多くなくて、らぶフェスではそれから解き放たれていたせいもあるのかもしれない。
(ファンの間では蜻蛉切会と呼んでいる声優の櫻井氏、キャラデザの源氏、そしてspiさんによる飲み会が以前ツイッターにあげられていて、おそらくそこから学んだ部分があったのだろうなとも思う)

あと蜻蛉切関係ないけどspiさんほんっと歌うますぎない?
SSAに高らかと響き渡る美声。たまんねーですな…!
キーとテンポがCD音源よりみほとせ時に近いなあと思ったのだけど、こっちの方が歌いやすいんだろうね。
素晴らしかったです。

 

 

ふう…

覚えてる限りの書きたいところ書きなぐって一息ついたので、細かいところはまた配信見ながら今度書こうと思います。